仏頭(興福寺)白鳳を代表する金銅仏/白鳳の美術

仏頭

奈良市・興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後、再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかった。

金銅仏

銅製の仏像彫刻に鍍金を施したもの。飛鳥・奈良時代の造像は金銅仏が主流を占め,東大寺大仏のような巨像,法隆寺金堂の『釈迦三尊像』や『四十八体仏』のような小像も制作された。平安時代には木彫が主となり,鎌倉時代には再び金銅仏が盛行した。鋳造法は時代により変化し,平安時代までは大陸から輸入のろう型法 (→脱ろう鋳造法 ) によるものが多く,鎌倉時代以降は木型や粘土の原型を使った金銅仏が多い。