夢窓疎石像(無等周位、前田育徳会)/室町時代の美術

夢窓疎石(むそうそせき)

南北朝時代の臨済宗の僧。9歳のとき甲斐平塩寺の空阿の弟子となって密教を学び,18歳で得度し,奈良,東大寺戒壇院で慈観について登壇受戒した。 20歳で上京,建仁寺の無隠円範に参じて禅に帰し,のちに中国より一山一寧が来日したとき,鎌倉に下って学んだが機縁は契 (かな) わなかった。その後奥州を遊歴し,甲斐や美濃に草庵を営んだのち,土佐国五台山に吸江庵を結んだ。正中2 (1325) 年後醍醐天皇の勅により南禅寺の住持となるが,北条氏に請われて鎌倉に入り,北条氏滅亡後上京して再び南禅寺に入った。京都騒乱後に足利尊氏の帰依を受け,天竜寺の開祖となった。足利氏は末代にいたるまで疎石の門徒に帰依することを約束し,室町時代を通じて夢窓派が隆盛することとなった。多くの弟子を教化し,義堂周信や絶海中津らを出した。主著『夢窓語録』 (2巻) ,『夢中問答集』。庭園設計,詩偈 (しげ) ,和歌にもすぐれた。

無等周位(むとうしゅうい)

南北朝時代の画僧。おそらく建武~暦応期 (1334~42) 頃京都臨川寺の夢窓疎石に嗣法して侍者となった。現存の『夢窓国師像』 (妙智院) のほか暦応4 (41) 年,貞和5 (49) 年にも夢窓の頂相 (ちんぞう) を描いたことが知られる。また西芳寺の壁に禅機図や鯉魚図を描き,観応2 (51) 年夢窓が光明上皇に献上した『十牛図』1巻も周位の筆に成った。