川上 冬崖(かわかみ とうがい)

幕末から明治初めに活躍した近代日本洋画の先駆者。家塾である聴香読画館は近世の洋画の発達に大きな貢献をした。
師匠:
弟子:高橋 由一小山 正太郎

  • 1828年(文政11年):信濃国高井郡松代藩領福島新田村(現長野県長野市)に山岸瀬左衛門の末子として生まれる。
  • 1861年(文久元年)33歳:蕃所調所(ばんしょしらべしょ)画学局が開設されると画学局出役、翌年同局筆頭になり、少し後に入局する高橋 由一と共に博物図譜制作にあたるなど活発な活動をみせる。
  • 1869年(明治2年)41歳:維新後、日本最初の洋画塾画塾聴香読画館(ちょうこうどくがかん)をひらき小山 正太郎らを育成。
  • 1877年(明治10年)49歳:第一回内国勧業博覧会では美術部の審査主任を務めており、これは冬崖が伝統美術と西洋美術の両方に通じていたことからの人選だと考えられる。
  • 1881年(明治14年)53歳:陸軍省参謀本部地図課長を務めたが、重要地図紛失事件の責任をとり,自殺。


蝦蟇図
早稲田大学図書館

魯敏遜漂行紀略の挿絵
洋風挿絵の最初とも言われている。